仏壇を家に置くということ

先日、夕方のニューズ番組の特集をなにげなく見ていたところ、持家のローンが払いきれずに逃げるように家の荷物をほとんど置いた状態で出て行ってしまっているという内容をみました。
残された荷物の中には家財道具のなかに仏壇も入っていのです。

これにはとても衝撃を受けました。
残された仏壇の中には遺骨と遺影も入っていました。
出て行かれたご家族がどのような気持ちで仏壇一式を置いて出て行ってしまったのか私には見当もつきませんでした。
そもそも、昨今では仏壇が家にないご家庭のほうが多いように思えます。
かくいう我が家にも仏壇がありません。
そしてお恥ずかしい話ではありますが、今までは仏壇を置くという概念も少なく、テレビの中や祖母のおうちにあるものだと漠然と思っていました。

私自身の両親が健在ということにも関係しているかもしれません。
ところが、ここ最近になって仏壇に興味が湧くようになってきました。
実際に半年ほど前に我が家に神棚を設けました。
その際にいろいろと勉強したのですが、神棚と仏壇はわけておかねばならないということもその時初めて知りました。
神棚に毎日手を合わせるうちに、一日のうちに数分だけきちんと手を合わせて精神を沈めることの気持ち良さに触れることができたことで、では我が家には仏壇があっても良いのではないかと思うようになったのです。
昔の人たちの家には必ずといっていいほど、仏壇があったように感じます。
仏間というのがあったくらいですからなおさらです。
小さい子供も皆、朝学校に行く前には仏壇の前に正座をして手を合わせてから学校に行っていたことでしょう。
そして帰宅後には、学校で返してもらったテストなどを仏壇に報告したりもしていたのでしょう。
もちろん、そうしたことによって、何か仏壇や遺影から返事があることはないかと思います。
ただ、心の中でゆっくりと仏壇に向かって話しかけることによって結果的には自分自身に問いかけるという意味もあるのだと思います。

そうすることにより、感情の起伏を上手にコントロールをして折り合いをつけていたのです。
私の両親は健在ではありますが、いづれ天国に行った際にはすぐに仏壇を用意するつもりでいます。
そして同時に、先祖に感謝をして今を生かされていることに感謝をしていきたいとも思っています。
さらに私の娘にもしっかりとその精神を受け継いでもらい家族や親せき、そしてご先祖様に感謝の気持ちをもって大人になっていってもらいたいものです。