無宗教な私にとっての仏壇

私の実家は神棚も仏壇もない、無宗教の家庭です。日本人は意識的には多くが無宗教とされていますが、それでも多くの家庭には神棚や仏壇があり、多くの人はお守りを買いおみくじを買い、年始にはどこかしらの神社にいって初詣をします。
そういった意味では私が育った家庭は、そういった日本人らしい習慣さえほとんどない本当の無宗教の家庭です。
そんな私が結婚した夫の実家は、わりときちんと習慣を大切する仏教の家庭で育った人でした。
初めて夫の実家に行く際に、夫に頼まれたことが仏壇へのお参りでした。
夫の実家は長めに家をあけた際、家に入ったらまず仏壇へのお参りをするそうです。
そして新しいご飯を炊いた際には必ずそこからお供えをします。無宗教の家で育った私にはなかなかびっくりする習慣でした。
壇のある仏間には祖父母や曾祖父母の遺影が飾ってあり、こう言ってはなんですが最初は少し恐怖感を覚えるほどでした。笑。
無宗教で育った私は、初めはその習慣がなんだかとても堅苦しく面倒に見えて、夫の両親はお寺の僧侶さんに言われるがまま高い仏壇を買い、たたりなんかの恐ろしい出来事が起こっては困るとせっせとお参りやらお供えをしているのかななどと勝手に合われに思っていたものでした。
そんな私も結婚してから年に2、3回は夫の実家に一緒に帰省するようになり、この習慣もにもすっかり違和感がなくなりました。
それどころか自分の中にこの習慣がきっちりと根付くようになり、義理母の毎日の日課である仏壇のお供えも、帰省中は私がさせて頂くようにもなったのです。
というのも、仏壇にお参りにしている際に、自分の心の中に無意識に「いつも見守っていて下さってありがとうございます」というささやかな感謝が生まれていることに気がついたからなのです。
仏間の遺影を見れば、「ああ、こうして夫の家系は繋がってきて、私もそこに入ったのだなあ」としみじみ感じるようになり、実家から自分の家に帰る為のお参りでは「お父さん、お母さんをよろしくお願いします」とお願いしている自分がいるのでした。
仏壇は確かに効果で、形式めいたものであるかもしれません。
それでも人の中に故人との繋がりを持たせてくれて、命の繋がりを意識させてくれる尊いものであると思えるようになりました。
日本人は無宗教と言いますが、そうした文化に根付いた命を大切に思う思想こそ、今の日本人、また世界中の人の心に大切なものなのかもしれません。